イタリアよもやま話

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◆ 福島原発の事故がなかったら・・・

福島原発の事故さえ起こらなければ・・・と福島県下の方々は思っていることでしょう。
本当にその通りだと思います。起こしてはならない事故でした。
でも、福島で起こさずとも、近年中に大震災が予測される地震大国日本で54基もあったのなら、
いずれはどこかで起こす事故であるとも言えます。
そして、まだ国内の原発が稼働している限り、
日本列島が今の場所にある限り、
すべての人間が間違いを起こす動物である限り、
日本中の人にとって
福島の今は『明日はわが身』の状態であるとも言えます。

全く平和ボケしていたオメデたい私は、
福島の原発事故があるまでは、日本の原発は数基だけだと思っていました。
数基あるという事実すら由々しき問題であるのに、
それが実は国内すべての地方に渡って54基もあると知りました。
それで、ブログに記事を出したりしたのですが、
ブログに書いているだけでは、この問題に興味のある人しか見に集まってこない、
興味のある人には訴える必要はないのです、
知らない人に訴えねば、もっと積極的に訴えていかねば、と思い、
日本の親戚・友人へメールを送り続けました。
その中でも一番共感してくれたのは私の母で、私のメールをありとあらゆる友人に回し、
そこからまた新たなメールが私のもとへ戻ってきたり、と活発な情報交換が行われました。
それだけではやっぱり自己満足に終わってしまうので、
3月の時点では電子署名のなかった浜岡原発反対サイトから署名用紙をダウンロードして
イタリアで細々ながら署名運動したりしていました。
この8月が署名の一旦の締め切りだったのですが、
なんとその署名された用紙を送り返す間もないままに、浜岡の運転停止となった訳です。
この決断がきっと日本中の原発を停止、廃止につながると喜んだのですが・・・・。
(署名用紙は、浜岡の永久廃炉請願のためにも役に立つとのことで、一応送りました。)

福島の原発事故はまだまだ続いていますね。
一旦起こってしまったら収拾するどころか、取り返しのつかない大惨事となってしまう、
その被害の大きさは、未来にまたがり、はかり知れない・・・
今現在、完璧な解決策が見つからない大問題として事故基を抱えながら、
それでも原発廃止を考えない政府、
これで、福島原発がちょっとでも今の状況より落ち着いたら、
のど元を過ぎ去った熱さとして、事故のこと忘れてしまったフリをされるのがオチです。
そして世間の皆が忘れかける頃に浮上する被爆者たち。
匂いも色もない、目に見えない放射能に冒され、
その
原因も発生期もはっきりと証明できない病に苦しまされる被災者の方々は?
一体、何年、何十年、何百年先の日本人までに、このツケは回るのでしょうか。
この上、また明日にでも起こり得る大地震で、どこか西日本の別の原発も同じ状態になったら、
日本は、もう破滅でしょう。そういう危険すら敢えて冒そうとする日本政府。
メルトダウンしてもすぐに教えてくれない、
全国の放射能値が見れるサイトでも、
福島県の放射能値だけがずっと白紙だった時期はすごく長かったですよ。
一体何の為の公開サイトでしょうか。危なくなると情報を隠す。
意味無いですね。
そしてそんな福島の現状を見つつ知りつつ、
原発増設を強行しようとする他地方の電力会社と地元の金の盲者たち。
自分の会社が東電のような状態にならないと、一体、どういう確信のもとに原発再開を主張するのでしょう。東電ですよ、東京電力。首都の電力会社であのザマです。

「何故、日本はこんな大事故が起きているのにすべての原発を廃止しない?」
イタリアで皆に訊かれます。
本当に返答に困る。母国日本をかばいたいけれど、かばう要因がない。
日本だけじゃない、世界中の人のものである海や、空気を、汚染し続けているのだから。

皮肉なことですが、この原発事故のおかげで他国では原発離れが急速に進みました。
イタリアは、87年にあった国民投票でそれまで数基あった原発を廃止しているのですが、
ドスケベ
・ドアホ専制君主ベルルスコーニ首相の率いる政府が原発振興を唱え始め、
危険を感じた野党が署名を集め、国民投票にまでこぎつけました。
福島の事故が起こる前から予定されていたことです。
でも、もしも、福島の事故が偶然にも投票前に起きていなかったら
この国民投票での勝ち目は少なかっただろう、というのが皆の本音です。

イタリアの国民投票では、投票権のある全国民の50%が投票に出向かなければ、
投票結果が無効となるのです。
つまり、原発推進派の政府にとって、彼らが勝つ方法は二つもあったわけです。
一つは、投票数が50%を割って無効となること。(強いて投票へ行かないこと)
もう一つは、投票数が50%を超えていても、原発推進に賛成する投票数が過半数を超えること。
で、あのドアホのしたこととは、
彼の持つメジャーテレビ局3局では、一切国民投票のことを喋らなせないこと、
新聞メディアも原発推進側にまわらせて、投票に関する正確な情報を書かせなかったこと、
イタリア中が待ちに待った夏休みに入った時期を選んで投票日を設け、
国民に「海へ行け、山へ行け」とあの手この手で促したこと、
等でした。
国民投票の性質上(政府の決めようとしていることを、国民が疑問に思い、直接投票する)
過去の国民投票でも、政府は同じような策をとりましたが、
今回はメディア王のベルルスコーニのやることですから、更に顕著でした。

もちろん、原発の有用性を声高にアピールすることは忘れていませんでしたよ。
原発を建てる候補地だって、もう去年くらいから囁かれていたのです。
日本もそうですが、イタリアも、できると決まると、いくら地域の住民が反対したところで
強硬につくってしまいます。
どんなにシツコイ反対運動でも、そのうちに一人、また一人、と買収され、
その数がどんどん減り、勢いを失くして負けてしまうというのが筋書きです。
ですから、去年の状態では、原発に関してもそうなるのではないかという見解でした。
チェルノブイリ事故で放射能の雲がやってきて、原発廃止を決めた国民にも、
いかに原発を持つことが危険なことなのか、という実感が、
20年以上前の昔話になりつつあったからです。

そこへ福島の事故です。

国民投票では4つの法案について投票することになっていたのですが、君主ベルルは、
「国民は今起こった原発事故に感情的になっている。感情的な決断をすることは国のためにはならないから原発再開の是非についての問題は投票から除いて、いったん白紙にもどし、またいつか検討し直そうじゃないか」
などと言いだしたのです。
これが、日本では「ベルルスコーニ、原発振興を無期限で凍結」と報道され、
なんや、ベルルも話の分かるヤッチャな、と思った方も多いでしょうが、
実は、単に国民投票で白黒はっきりさせられるのを避けたかっただけ。
そうして一時逃れしておいて、
イタリア人の脳裏から福島の事故が消えた頃に、またぶり返すつもりだったのですよ。
この時を境に、巷では、いろんなデマが飛び交い、実際、
原発の是非については投票題目から除かれた、などというデマは、最後の最後まで回っていました。
その後も、癌治療の一番の権威である有名な外科医が
「原発は100%安全でクリーンなエネルギーだ。」
と言い切ったし、
「FUKUSHIMAの事故は建設する場所を間違えたから起こった。
このことによって

原発は場所さえ選べば安全なものだということが証明された。」
などという中一レベルの数学でもしないような証明を公の場で行ったのは、
やっぱりベルルでした。

結果、投票率が57%となり、
投票した人の大半が原発廃止制を維持することに賛成し、
イタリアは救われました。
ベルルやその他の政治家は棄権。卑怯なだけでない、国民として、政治家として、一番大切な投票権を放棄することを公言するとは。)
その後、ベルルは「女はやめられんが、原発はやめる」とか言ったそうで、世間ではそれを微笑ましく見る人もいたようですが、ベルルがやめたんちゃうで!彼は断念させられたんやで!

あの権欲と女と金の盲者ベルルが、国民をたぶらかしてまで必死に推進しようとした原発です。
その事実だけですでに、原発推進の裏にある不当性が証明されていると言えますから、
原発に反対するには十分な理由になります。







◆ 今年の買い!

今年と言わず、近年買った家電の一番の買いかもしれません。

ジューサーです。

なんや・・・という声が聞こえてきますが、
そんじょそこらのジューサーとは違いまっせ。

ジューサーに興味が出たのは、去年。
ちょっと真剣に健康的な食生活というのを考える時期があり、
その時に知ったのが、新鮮な野菜や果物に含まれる様々な酵素。
その酵素は、摂氏60度の温度で壊れてしまうので、生で摂らなければいけません。
生で摂れる量には限界がありますよね。
でも生ジュースにしたら手軽に大量の酵素が摂れます。
 
家の両親も毎朝人参&りんごジュースを飲むんだとジューサーを買って
ガーガーと作ったものを飲まされた時期があったことを覚えていますが、
あの時のも、いわゆる一般的なジューサーで、高速で刃が回転するものでした。
(あれどこ行ったんや?今)
日本では、ジューサーと言えばこのタイプが主流ですが、
(フードプロセッサーやミキサーではないです)
あれはダメなんです。
毎分4500~12000回の回転が、熱を発して、酵素・ビタミン・ミネラルの多くを壊してしまうのです。
その上、空気との接触が非常に大きいので成分がすぐに酸化してしまうのも大きな欠点です。
と、いうのが目に見えないとこの理由ですが、
ダメっていうのは、飲んだらわかります。
あの方式のジュースは、
絞ったあとからグラスの中ですぐに分離するんですね、
薄い液体が下に、モロモロになったものが上に、と・・・。
ちょっとキリンレモンにミルクをいれた時のような感じ、と言えばわかるでしょうか。
(え?やったことない?私は小さい頃にキリンレモンをよくそうやって飲んでました)
あれでは美味しいジュースとは言えません。のど越しが悪いんですよね。
実際、高速で細かく削ってそれをフィルターしている、
という感じの出来上がり具合ですよね。

私が探したのは、低速で圧搾してジュースを搾り出すジューサー
毎分80回転という低速で回るので、高温に弱い酵素や栄養素をそのまま摂れるんですね。
と、ミクロの世界の話もさておき、ジュースに分離がなく、口あたりがとてもよく美味しいから。

さて、探してみると、低速ジューサーはこんな形のものが多いのです。

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ゴッツイうさぎちゃん
・・・。


低速ジューサーは、この横絞り式の形で始まったらしいのです。
だから低速ジューサーで検索するとこんな形がどんどん出てきます。
でも

こんなんイヤ!

なんだか場所とりそうやし、どん臭いことありません?
せめて最低限もの
スタイリッシュな生活をしたいというのが希望です。

と、諦めずに検索し続けたら、
新製品があった!!

ヒューロムスロージューサー1台【石臼式低速ジューサー】【送料無料】【型番HU-300】【あす楽対応】
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縦型も出ていたようです。よかったよかった。
こういうものを出すのは、やっぱり向上心あふれる東洋系のメーカーなんですね。

HUROMというのは、韓国のメーカーで
最近までは、アメリカやヨーロッパではHUROMのメーカー名が表に出ずに
別のメーカー名で売られていた時期もありましたが、
今年からは世界で統一され、HUROMでいくことになったようです。

家電のメッカ日本で、
なぜ低速ジューサーがメーカーに開発されなかったのかは謎です。

見ての通り、いいお値段しています。
ちなみに、普通の高速回転ジューサーなら、1万円ちょっと出せは買えます。
だから、低速買うお金で高速が3つも4つも買えます。(そんなにいらん・・・)
でも、それだけの価値はある!!
下見では多くの口コミ、YouTUBEの映像口コミ、半日かかって見ました。(ひま~~)
そして実際に使ってみて、最確信しましたよ。
(同じ原理のもので、テーブルに固定して使う手動式のもあるにはあります。
ただ、しんどそうですし、2万円くらいします。毎分何回転かは人によりけり。)


いざ購入。
もちろん、私は日本のサイトからは買えないし(電圧とかも違うしねぇ・・・)
韓国から直接というのも、時間もかかるし、送料や関税コストもかかります。
で、ヨーロッパ内で探したら、チェコとイギリスの2カ所あり、
送料が無料だったイギリスのサイトを通して申し込み、3日後に宅配便で届きました。
329ユーロでした。まぁ感覚的には日本でと同じようなものですね。
(でも日本の販売会社みたいに色んなオマケつけてくれません・・・)

残念なのは、今年出た最新式が見つからなかったこと。
最新式だと、色も3色から選べて、かなりスタイリッシュになっているのです。
でも、こっちはそういうのに疎いし、
もともと売れ筋の製品ではないから在庫が終わらないと入ってこないでしょうね・・・。
赤がよかったな・・・・。日本ではありますよ。

イギリスのサイトでは、白とシルバー(メタルな感じ)があり、
シルバーが在庫切れになっていたので
白を頼んだのに、シルバーが届きました。どんなんや。
まさかイギリスまで送り返す気力もないので、まぁいいかと。

使った感想は、とっても満足!

動画で見た時は、もっとうるさい感じだったんですが、
実際はすごく静かで、ともするとスイッチオフにせずにそのままにして野菜切ったりしがちです。
高速ジューサーはすごくうるさかったの覚えていますから、これは嬉しい驚きでした。
それと、低速回転ですが、ジュースが出てくるのは早いです。
この縦型は改良されているので、高速回転ジューサーよりも速いと思います。
部品を洗うのも簡単!めんどくさがりの私でも大丈夫。

モーター音もとても安定しています。低速なので当り前かな。
質実剛健につくってあるという感じ。

どうしても欠点をあげろ!というのなら、やっぱりかさ張ること。
でもこれは低速だから、高速だから、という差からくるのではなく、
台所にもう一台家電が入っちゃった、ということだからです。
いちいち使う度に出してはしまう、なんてことはできませんから、
どこかに据え置くスぺースがいりますよね。

それと、韓国製家電だな、と感じさせるのは、プラスティック部分の仕様かな。
型をとった跡が微妙にスマートじゃないというか・・・おわかりになるでしょうか。
昔の中国製・台湾製はもっとひどかったけれど
日本の製品でああいう仕様はあまり見られないと思います。
各部品が合わさる印なんかも、まるで手でチョンとつけたみたいな赤い点で、ちょっと可愛いです。
その合わせも、なんだかあってるような、あってないような、という・・・。
そのくらいです。

早速、家にあるありとあらゆる果物や野菜でジュースを作ってみました。
本当に美味しい!!これで果物をジュースにするともっと甘く感じるくらいです。
これからはジュースのレシピも載せていきますね。























◆ あれから・・・

寝てたんじゃないんです。
あれから原発について色々な記事も書いたんですが、
結局どれもアップしませんでした。

私は東北地方にあまり知人はいないのですが、放射能の問題は福島にとどまらないので、

日本の親類や友達に放射能に関するサイトや、注意を書いてメールで送ったりしていたら、
ある人から
『実際に日本で暮らしている限り、どうしようもない』
と言われ、ちょっと引いてしまいました。
確かに、ボールが落ちてくる可能性も皆無に近い球場の外から、
球場内でも外野にいる人に、『あぁせい、こぅせい』と言っても、説得力ありません。
これは実際に日本へ帰ってみなければ、同じ日本人としての意見は言えないな、と思いました。

それで帰る機会をもったのです。

突然決めたので、11日間という短い期間でしたが、帰ってみると、
「東北地方の各県の位置関係が、今回初めてようわかったわ」
等という声が聞こえる私の地方では、放射能に関する危険感、ゼロ。
皆、1年前に帰った時と変わらない生活をしていました。
雨が降っても、ちょっとぐらい濡れたって構わないし、
ましてやマスクなんかこの時季にしている人はいません。

実際に私もそこにいると、その雰囲気に迎合するしかないという感じでした。

イタリアに居る時よりも、原発事故に対する興味すら少なくなりがちなのです。
東京の放射能値だけでなく、名古屋、大阪、西日本の放射能値は、確実に事故前よりも上がり、
必ずしも安全ゾーンとは言えない値すら出る日も多いのに。
そして、その放射能は、毎日、どんどん、地中や海中に蓄積されていっているのに。
確かにテレビでは放射能のことを取り上げる番組もありましたし、
しきりにソーラーパネルの宣伝をしているのも見ました。
でも、それは生活の中のほんの一部の出来事なんですね。
日本の生活って、あまりにも雑多な情報や、やらなければいけない事にあふれていて、
通勤→仕事→ネット→メール→お付き合い→お中元→お買い物→電車→定期券→財布→携帯→テレビ→プロ野球→高校野球→スポーツ→子供のスイミングスクール→ママ友→同窓会→...etc, etc
とてもとても、原発事故が生活の中に深く入りこむ隙間など、なさそうなんですね。
平和ボケ、と言ってしまえばそうなのですが・・・。

そこにつけ込む政府。


福島の果物や野菜を食べましょう、等と、農家の生活保障をする気がないがために

テレビの目の前で食べてみせる首相。なんということ!
食べたいならそれは自由、貴方とあなたの家族だけ食べていてください、
でも自分とこの作物を放射能にやられたすべての農家に、
事故を起こした東電と国は補償金を出すのが筋でしょう。
彼らは風評被害なるものの被害者ではない、確固たる原発事故の被害者なんです。
補償ができないから、野菜を売らせるために、皆で放射能野菜を食べましょう、と?
福島県下にいて、ただでさえ他県よりも強い放射能を浴びて暮らすことを余儀なくされた
放射線に一番敏感な子供たちに、
放射能の許容値を上げて許容値とし、それを給食で食べさせよと?
非常時に許容値を上げるなんて、何のための許容値を制定したのか。
一体、日本はどういう国なの?
自分とこの子供に平気で毒を盛れる国なの?
最近、親の幼児虐待が増えたのどうのこうのって、国がそれを率先してやっているではないの。
負けると重々わかっていた終戦まじかの時期に、日本の次世代を担うべく若い純真なエリート少年達を、
行きだけの燃料を積んだ飛行機に乗らせて爆弾となるのを見殺しにした、
あの時代と何も変わっていないのではなかろうか。
あの時に二つも落とされた原爆で、本当に痛い目にあったのは日本という国家ではない、
広島や長崎で実際に被爆した人達と、それをすぐさま救助しに現地へ行った人達だけです。
あの時も被害者の多くは、市内でお国のためにと働いていた多くの若い少年少女でしたよね。
今回の政府の処置をみていると、基本的にはあの時とそんなに変わっていない気がします。
原爆も2個目を待ってやっと終戦布告。
福島級の原発事故も、一つでは足りないのでしょうか?

もうすぐ戦後ずっと続けられてきた原爆の日の式典があり、その後終戦記念日も迎えますが、

福島原発事故で3月から放射能が出続けている状態の国として、
原発がまだあちこちで運転され続けている国として、
核のない世界を希求する『平和宣言』を、日本はどういう名目で訴えることができるのでしょう。


書きだすと怒涛のように言いたいことはありますから、
ぼちぼちブログ再開です。
もちろんイタリアのよもやま話にも、もどりながら。








◆ 原発の真相1 ~日本の原発現場の実態を知る~

震災以来毎日、日本の新聞(朝日・読売・日経・毎日などの大手)をネットで読んで
こちらでの新聞の報道と比べていますが、
日本での報道がかなり控えめなのに驚きます。
特に朝日新聞は、読売や日経が書いてることを書かない場合すらあります。
(新聞社というのは、電力会社と深いつながりがあるのでしょうか?)
こちらでは、一週間ほど前には『福島の事故は今やチェルノブイリ級と言ってもよい』と報道しました。放射線や放射能は目に見えないというのが、やっかいです。しかもオナラのような匂いもない!
皆さんも、うちとこからは遠いから、と油断せずに、外出時はできるだけ肌を露出しないよう、
雨が降ったら濡れないよう、雨に濡れた物を食べないよう、注意してください。

私は今回の福島原発事故は、誰が何を言おうと人災だと思います。
その理由はまず、これです。
福島原発10基の耐震安全性の総点検などを求める申し入れ(2007年)
これは福島の共産党が東電に向けて送った文書ですが、第4項を読んだ時には、愕然としました。
今から4年も前に予想されていて、東電に注意が促されていただなんて。

 4.福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、
   すでに明らかに なっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された
   核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、
   最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。
   そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
   柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、
   津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。


イタリアでは、チェルノブイリ事故の起こった翌年の1987年に国民投票が行われ、
それまでにあった4か所の原発が閉鎖されています。
よくイタリアの友達に、
『日本は、原爆であれほどの被害を受けたのに、なぜ原子力発電所を持っているの?』
と訊かれることもありましたが、返答に困るくらいで、
自分は断固反対、という意見は持っていても、
今の日本の原発の状況を深く知ろうとはしませんでした。
私は無知な平和ボケ患者だったんですね。

で、遅まきながら調べてみました。

原発について興味を持った大半の人は、まずこの個人サイトにぶち当たりますよね。
原発がどんなものか知ってほしい ~平井憲夫~

私もこのサイトから始まりました。
平井さんは、原発の現場で1級プラト配管技能士として20年間も働いていた方で、
100回以上に渡る内部被爆で体を癌に蝕まれ、1997年に亡くなっています。
このサイト内でも何度か、福島原発で過去に起こった重大な事故についても触れています。

平井さんの文書はショッキングな内容ですが、1970~80年代のことを書き綴ったもので
今の小・中学生からしてみると、生まれる前の大昔の話に見えるかもしれませんね。
では、こちらの証言サイトはどうでしょう。

浜岡原発は本当に大丈夫なのか?
これは静岡県にある中部電力のもつ浜岡原発について、川上さんという方が2009年に立ち上げたサイトですが、その内容は平井さんの内容をさらに詳しく書いたもので、まさに平井さんの時代から今まで、原発の現場での状況は何一つ変わっていないことがよくわかります。
川上さん本人も、2008年まで浜岡原発で実際に作業していた経験があり、サイトを立ち上げた直後に大腸ガンを宣告され、現在手術後の経過を見ているところのようです。


平井さんと川上さん両者の証言でまず驚いたのは、原発現場では、事故のない正常な状態でも、
作業員の大なり小なりの被曝が免れず、それも日常茶飯事であるという事実です。

このことを裏付けるものは他にもあります。
こちらは、1995年にイギリスで放映された日本を舞台としたドキュメンタリー番組です。
隠された被爆労働~日本の原発労働者1~

隠された被爆労働~日本の原発労働者2

隠された被爆労働~日本の原発労働者3


全く、こんな職業・職場が、今の日本にあっただなんて・・・。
中学の頃、社会科の授業で初めて部落民という差別の存在を知った時と同じような気持ちになります。『この一見平和な日本の社会には、隠されて続けられていることが裏に幾つもある』
それを見て見ぬふりをしていたどころか、そうと知りながら現在でも下請け会社を通して労働者斡旋を裏で行い・行わせているのが、電力会社と、日本政府なんです。
私達の払う電気代や税金には、こういった危ない仕事に駆り出される労働者の周旋屋(主にヤクザ)のピンハネ分まで間接的に払わされていることになります。

そう思うと、現在福島原発事故の現場でで私達の為に身を粉にしている人たちで『作業員』と紙上に書かれている方達も、これらの労働者たちにあたるのではないか、と思います。

知識のある人が絶対やりたくない命に関わる怖い仕事というものがあるのが原発の現場で、知識のない労働者たちにそれを押しつけることで、原発は運営できているのです。誰かを人身御供にして成り立つ原発。それは今起こっている事故を見てもよくわかります。
これが広島・長崎で痛い目にあっている日本のする、原子力の平和利用?

原子力を、平和という言葉と併用するなんて、できるのでしょうか。

大江健三郎さんが3月17日付のにフランス紙ルモンドに受けたインタビューでの言葉です。

「核の炎を経験した日本人は、核エネルギーを産業効率の観点で考えるべきではない。つまり成長の手段として追求すべきではないのだ」
「原発がいかに無分別なものかを証明した今回の過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する最悪の裏切りだ」


広島・長崎は、国の人身御供になってしまった。あの時点で終戦を決めていなかったら、別の場所にも落とされていたかもしれないのです。大江さんの言う『広島の犠牲者の記憶』というのは日本人全員の記憶であるはずです。


   (つづく)







◆ パドヴァ市長から日本への激励

イタリアは統一されて150周年ということで、この3月17日はイタリア中で臨時祝日となりました。
(たったの150年なんですよね、イタリアという国になったのは。どおりで、まとまらん訳だ・・・)

各地で催しが行われたのですが、
歴史的な大学都市パドヴァでも、前日の16日から催しがあり、それに私は仕事で参加していました。

イタリアよもやま話
    催しの行われた町の中心にあるラジョーネ宮。市役所に隣接しています。

多くの市民やマスメディアが集まり、大画面でイタリア統一の際のパドヴァの歴史を振り返る前に、
市長のお話があり、開口一番で、
『今日は、この私達の集いの為に日本人が一人参加しています。
彼女の国で起こった悲惨な出来事の為に皆で黙とうしましょう。』
という言葉があり、皆で黙とうをしました。
催しの関係者は皆胸にイタリア国旗の三色の紋章をつけたのですが、
私の同僚二人は、腕に日の丸の旗も張り付けていました。
私も含めるその他大勢の同僚は、腕に白い腕章を日本への想いのシンボルとしてつけました。
(追悼という意味では黒だろう、という意見だったのですが、
皆黒っぽい礼服だったので、黒では見えないことから、白になりました。)

イタリアよもやま話
最初は会議のような、こういうう雰囲気で始まりました。後ろの木馬がデカイんです!

催しが終わり、帰宅の準備をしているところへ、パドヴァ市長とその他の関係者が、
『今回の震災について、心から哀悼の意を表しますよ。元気を出してくださいね。』
と私に直接握手を求めに来てくれました。

この握手は、震災時にイタリアで のうのうとしていた私へではありません。
私という日本人を通して、日本の皆さんに送られたものです。

がんばれ東北、がんばれ日本。




★ がんばれ東北、がんばれ日本。

この非常時に、ブログ訪問なんてしている日本人も少ないだろうし、
ましてや、数か月も音沙汰の無いイタリアンなブログなど、見に来る被災者など皆無でしょうが、
応援しています。

地震の日から、ずっと日本のテレビ見ています。
東北は私にとっては遠くて馴染みのない土地ですが、
日本の自然が、町々が 破壊され、
あっという間に家族や生まれ育った故郷を目の前で失った人々、避難所で困っている人々を見るのは
身につまされる思いです。
そんな、予想だにもしなかった不運に襲われても、皆助け合いの精神を持ち続けている日本人に、
同じ日本人として誇りを感じます。
東北の皆さん、頑張って!!

イタリアの知り合いからも、毎日のように電話やメッセージが届き、
私の日本の家族や知り合いの安否を気遣ってくれています。
そんな世界中からのエネルギーが、東北の皆さんにも届きますように!



◆ 17年ぶりのお年玉付き年賀状




イタリアよもやま話


17年前のお年玉付き年賀状が、今年になって私のもとに届いた、とかじゃないですよ。
イタリアでは充分にあり得ますが・・・。

思い出すと、日本のお正月には17年も帰っていません。(ウッヒャー!)
仕事の都合上、なかなかこの時期は難しいのです。
17年前には、父の買った年賀はがきで、数枚だけ年賀状を書いた覚えが、あるような無いような・・・。

この年末にネットサーフィンしていて、ふと目に入ったんです。
ネットで年賀状が出せるっていうサービスを。
さすが日本やわ!!
と早速、家族と昔の恩師とか数人に出してみました。
パターンを選んで、自分で撮った写真を入れたりして、
メッセージを入れて、文字を選んで、
住所と宛先を入れると、あちらの方でプリントしてくれて、投函してくれて、
元旦に着くんだそうです。(本当に着きましたよ!!)
1枚1枚違ったデザインや内容にでき、1枚からでも頼めるのもいいですよ。
お年玉付き年賀状代とプリント代・投函も込みで、1通125円くらいでした。
海外に住んでいる身としては、お安いものです。

イタリアからクリスマスカード出すのが本当なんだろうし、
その方が味があるとは思うけれど、なんせこの国の郵便事情が・・・
春の寝ぼけた頃になって、
『そちらからの年賀状が届きました』
なんてこと、しょっちゅうだったし・・・。
特にクリスマスの時期は、誰も働きたくないから、
グリーティングカードのような事実上緊急性のない郵便物はためてるみたいです。(何処に?)
最近は不況で、ますます郵便配達人の正式雇用も少なくなり、
バイトの人が多いそうで、ますます責任感無くなってるらしいです。
それでも、以前よりは、少しはマシになったような・・・気もする・・・かなぁ・・・。

今月の23日は2011年のお年玉つき年賀状の抽選がありますね。
私の送ったのんは、何か当たるかなぁ・・・。






◆ 洗礼式の昼食 ~ウサギ肉 VS ロバ肉~


さて、セコンド(第2の皿)です。

う~~む、ウサギ年が明けて早々・・・。

イタリアよもやま話

ウサギ肉のオーブン焼きとは・・・。
ウサギの肉は、箇所によってはちょっとパサパサしていますが、
あまり癖のない白身のお肉なので、
上に乗っている玉ねぎが程良いスパイスとなって効いていました。
もちろん、ジャガイモのオーブン焼きが添えられていました。

プリーモが二つの場合は、セコンドも二つ以上あるのが普通です。

ロバ肉のスぺッツァティーノ
(一口サイズの赤身のお肉の赤ワイン煮、とでも言いましょうか、まぁ東欧のグーラッシュのようなものです)。
ゆるいポレンタ添え。

イタリアよもやま話

横に座っていた義姉は、ロバと聞いた途端に、お皿を他の人に回しました。
ロバのお肉はそれほど、ポピュラーではありませんが、
煮込み具合が上手かったのか、とても美味しかったですよ。
やはり馬肉に似ています。
煮る時にトマトも入れることが多いのですが、ここは入れていませんでしたね。

さて、お待ちかねのデザートは・・・

イタリアよもやま話

アマレッティのセミ・フレッド、キャラメールソース添えです。
(アマレッティは、アーモンドのクッキー菓子だと思われていますが、
現在ではほとんどの場合、杏の種子の粉を使って焼かれているんですよ。)

このデザート、皆には結構評判よかったですが、
私は個人的に、セミ・フレッドって、ちょっと冷たくて超甘いバタークリームの食べてるみたいで、
好みではありません。
(とか言いながら、たいらげたやん・・・)
まぁ、冬場なので、ジェラートは寒いけれど、
こってりした物を食べた後のセミ・フレッドというのはいいかもしれませんね。

この後、またプロセッコや、甘い白ワインや、グラッパや、アマ―ロ(苦いけど甘ったるい食後酒)
などが食卓を右往左往し始めましたが、隣の夫のグラスの進み具合を見てるので、
すべてパス。
帰りの運転しないといけないから・・・。

エスプレッソ・コーヒーで〆ました。

律儀な弟夫婦は、引き出物まで用意していて、
この地域のエキストラバージン・オリーブオイルを一瓶戴きました。うれしい!!

こちらの親族一同から姪っ子への贈り物は、
素敵な純金のブレスレッドで。(純金のブレスレッドって、あんなに高価だとは!)
長さの調節も簡単にできるよう工夫されていて、
生まれて数か月の現在から大人になるまで使えそうです。
まだ本人はわかってないけれど・・・。











◆ 洗礼式の昼食 ~アペリティヴ&プリモ編~

通常なら、6日のエピファ二ーで冬のヴァカンスが終わり、過食の危機も去るのですが、
9日の日曜日に、去年生まれた姪っ子のBATTESIMO(洗礼式)があり、
また親戚一同で大昼食会

洗礼式って、てっきり身内と神父様だけで行うのだと思っていましたが、
一般市民も居る日曜日の朝のミサで、同じ市内のもう一人の女児と一緒に『集団洗礼式』でした。
お宮参りみたいなものだから、と霧深い朝早くからしたくもないお洒落をして行ったのに、
一般参列者はもとより、親戚の人たちも、皆平服でしたわ・・・。

朝の大聖堂の冷たい大理石の床の上で1時間、足先の間隔がなくくなる頃にミサが終わり、
その後、義弟夫婦の家に行き、アペリティヴ・タイム
1時には昼食と知っていた私は、今回は間違えることなく、
山と用意されていたPIZZETTA(小さなピザ)などのおつまみは、つまむ程度に。(したんだね・・・)
それにしてもクリスマスなんかと違って、両家の親戚が集まり、30名近かったので、
用意が大変だったと思います。

こういう親戚の集まりで驚いたりするのは、義兄にお年頃の娘がいるのですが、
彼女のボーイフレンドまで来ていたこと。
具体的に結婚の決まっている婚約者、というのならまだしも、
17歳から付き合っている公認の彼氏とは言え、まだ19歳の彼女だから、
世の常でいったら、まだまだ先行きがわからぬ関係だと思いますが・・・
で、1年くらいしたら、また親戚の集まる場所に、今度は別の彼氏が、なんてヘイチャラなんですよね。

さて、アペリティブとはいえ、ワインやプロセッコのボトルは余るほど用意されていたので、
家の中では小1時間、大いに盛り上がりました。
ここで終わってもよさそうなものだったのですが、
そこから皆で車で7キロほど離れた場所にあるアグリトゥーリズモへ。
このアグリトゥーリズモは、エウガーネエ丘(とでも訳すのか・・・)と呼ばれる
パドヴァ南西部の小さな丘陵地帯にある、アルクア・ペトラルカという村にありました。
小さな集落ですが、名前の通り、ペトラルカが住んでいて、彼のお墓もあるので、有名です。
この小さな丘陵地帯は、地中海性気候で、オリーブ畑が見られ、
オリーブオイルやワインの産地でもあります。

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  (まだクリスマス気分が抜けきっていないアグリトゥーリズモでした・・・)

アグリトゥーリズモど呼ばれるレストランでは、
自家栽培の野菜や、飼っている家畜を食卓に出すのが普通です。
宿泊業も兼ねている場所も多く、イタリア中の田園地帯や山岳地帯にあります。

まず最初にオリーブオイルのたっぷりかかったブルスケッタが出され、
その後はすぐにプリーモ(第一の皿)となりました。

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かぼちゃのニョッキ
私の好みを言えば、このニョッキは小麦粉が少し多かったような気がします。
でも、かなり塩味控えめの味付けで、それだけにベーコンの役目がはっきりとしていて、よかったです。
量も丁度でした。

次はセコンドかと思いきや、義弟夫婦はさすが一人娘の為、
奮発して、2つ目のプリーモ。

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ラディッキオのパスティッチョ(ラザーニャ)でした。
普通ラディッキオのラザーニャに、お肉は入れないのですが、
ミンチ肉が入っていました。
ここでも好みを言わせてもらうと、ホワイトソースが多すぎたな・・・。
ホワイトソースの少ないラザーニャってのは味気ないものですが、多すぎるのもダメですね。
それと、やっぱりお肉は余計かも。

どちらのプリーモも、一皿食べ終わった後、給仕さんが大皿に入ったものを持ってきて
一人一人にお代りをきいて回ります。
こういう大勢での会の場合は、プリーモなど、個数の決まっていないものなどは、多めに作るのでしょう、
『お代りいかが?』と訊かれることが多いのです。

でも、いくら美味しくても『SI=はい』と答えてはダメ!!

 ~ セコンド(第2の皿)へとつづくからです ~













◆ お正月・・・そしてバーゲン!

信仰心って、ある程度ゆとりが無くては駄目なのか、
昨日のエピファ二ー、一応宗教上の祝日であるにもかかわらず、
バーゲンセールが6日に始まったということで、
どこのお店も開いていて、しかもどこも超満員の人、人、人・・・。
皆、待っていたのね、バーゲンを。
この分では、日曜日も結構開けてるお店が多いかも。

イタリアのバーゲンは期間が週によって決められています。
例えば、今年のヴェネト州は1月6日から2月28日までです。
期間を外れて、大っぴらに『セール!』なんて張り出すと、辛い罰金です。
こういうことまで決めちゃうから、本当の意味での自由競争がないんやんねぇ。
もちろん個人レベルのお店では、値引きはしていますが。

世の中には、バーゲンで素敵な物をゲットする人が多いのですが、
私はあまりバーゲンで掘り出し物を買うのが上手くないのです。
というか、何でも欲しくなる思春期の頃ですら、
『これを買おう!』と思って張り切って出かけて行く日に限って、
コレと思うものが無く、半日歩き回った挙句、
何一つ収獲もないまま帰りの阪急電車の人ごみにもまれて疲れ切る、
ということが多かったですね・・・。

上手く行くお買い物って、ノリが大切ですよね。
一緒に行くお友達にもよります。
友達によっては、こっちの購買意欲が高まる友達もいれば、
相手のペースに乗せられて、自分の見たいものが見れない、という人もいます。
じゃぁ、一人で気楽に見れば買う気になるか、というと、
日によっては、試着するくらいなら、面倒くさいのでいらん、という日もありますよね。

ことバーゲンとなると、永年の経験からいくと、
バーゲンを待っているとサイズが無くて結局手に入らない、ということが多く、
本当に気に入ったものは、秋のうちに定価で買って、
フルシーズン愛用することにしているのです。
高価な物でも、結局は使える期間が長い方が、
ましてや、安物なら、50%値引きされてても、結局はあまり変わらないので、
やっぱり気に入った時に、定価でも買います。

ただ、定価っていうのが、イタリアでははっきりしませんね。
同じ物でも、ヴェネツィアと陸地側のメストレでかなり違う値段がついていたりするんだから。
同じヴェネツィア内でも、玄関のローマ広場近くとサンマルコ付近では、全然違います。
去年も、ローマ広場近くで、気に入った靴があり、買おうかどうか決めかねていたのですが、
サンマルコへ行くと、全く同じ靴が30ユーロも高い値段で売られてるの見たので、
戻ってすぐに買いました。

こういう、定価の無さから、バーゲン時にイカサマする小売店も多いのですよ。
例えて言うと、
バーゲン前から70ユーロで売っていたものを、
100ユーロ→70ユーロ(30%引き!)
とかって平気でやってるお店も多いんだそうで・・・。
ローマを中心とする南イタリアで多いお話だそうです。
日頃から、ある程度の値段はチェックは必要ですね。






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