サッカーの大義名分 | イタリアよもやま話

サッカーの大義名分

イタリアのサッカーが日本のプロ野球に相当するって?
とんでもない、そんなレベルじゃござんせん。

私はあまりサッカーやら野球やら、人のやる球技を観戦するのに興味はないのだが、
そんなの日本だったら別にひけ目も感じないし、生活する上で何の弊害もない。
ところがこっちはサッカー話題で親交を深め(もちろん実際に遊んだりする大人も多い)、
重要なサッカーの試合観戦は、何よりも優先され、大義名分が通ってしまう。

例えば、ある仕事の打ち合わせが重要なサッカーの試合時間にひっかかると、
時間が変わったり日程が変わったりするのだ!
「んな、アホな!?」と思うのは日本人。
イタリアでは当たり前のことで、
サッカーに興味のない少数派の人も(それに便乗して?)不平も言わない。

しかもイタリア人の観戦方法の日本人との違いは、
男達が皆で集まって一緒になって観ないと気がすまないこと。
自分の支持するチームのサッカーの試合のある午後には、
大の男が何人もテレビの前に集まって皆で一緒に観戦する。
ひどい時には仕事場にまでテレビを持ち込んでその時間帯はその部屋に集まって観る。
そういう風に段取りを組まない人達は、
テレビのあるBAR(軽い感じの飲食店)に行くとそこにはもう他の人が集まっている。

ワールドカップの時などは、そのために
普段は置いていないテレビを仮設したりするBARもあるほどだ。
顔見知りであろうがなかろうが、かまわない、皆で一緒に見る、
というのが大事なようだ。この訳はいまだに私には分からない。
皆でワイワイ大声で喜んだり、罵倒を叫んだりして試合観戦は進んでゆく。

私は、くだらないイタリアのテレビなど見ても無駄だと思い、
テレビが壊れたのを機会にテレビのない生活をしているが、
サッカーの試合の日に家の窓を開けていると、
いつゴールしたか、どっちに点が入ったかが、
近所あちこちに集まる人のどよめきや叫び声でよ~く分かる。
試合が終って勝ったか負けたかも手にとるようによく分かる。

イタリア人の反応として面白いのは、勝ったら物凄いドンチャン騒ぎで
(これは阪神が勝った時の大阪道頓堀付近の雰囲気が全国で起こると考えてもらえればよい)
負けた時が、ちょっと日本人と違う。
サラッと普段の生活に戻るのだ。
まるで何も無かったかのごとく。正確にいうと、何も観なかったかのごとく・・・。
「悔しがる」とか「失望して落ち込む」姿など見たことが無い。
あんなに待ち焦がれて楽しみにしていた試合だったのに、負けてしまうと、翌日は話題にも出さない

これは一体どういうことだろうか。この理由もいまひとつわかっていない私である。
そして観戦者が圧倒的に男性が多く、
女性はほとんど居ないのも、イタリアの特徴の一つであろう。
日本のようにサッカー選手に向かって黄色い声でラブコールする女性軍など、
見たこと無い。もちろん、実際は女性にモテモテなんだろうけれど。

そう思うと、イタリア男性達が一団となって、女性を寄せ付けずに試合を観戦するのには、
もしかしたら、母、恋人、妻、という女性から解放されて、
自由だった頃の童心に帰るのを喜んでいる、という理由がある気がしないでもない。