◆ 原発の真相1 ~日本の原発現場の実態を知る~ | イタリアよもやま話

◆ 原発の真相1 ~日本の原発現場の実態を知る~

震災以来毎日、日本の新聞(朝日・読売・日経・毎日などの大手)をネットで読んで
こちらでの新聞の報道と比べていますが、
日本での報道がかなり控えめなのに驚きます。
特に朝日新聞は、読売や日経が書いてることを書かない場合すらあります。
(新聞社というのは、電力会社と深いつながりがあるのでしょうか?)
こちらでは、一週間ほど前には『福島の事故は今やチェルノブイリ級と言ってもよい』と報道しました。放射線や放射能は目に見えないというのが、やっかいです。しかもオナラのような匂いもない!
皆さんも、うちとこからは遠いから、と油断せずに、外出時はできるだけ肌を露出しないよう、
雨が降ったら濡れないよう、雨に濡れた物を食べないよう、注意してください。

私は今回の福島原発事故は、誰が何を言おうと人災だと思います。
その理由はまず、これです。
福島原発10基の耐震安全性の総点検などを求める申し入れ(2007年)
これは福島の共産党が東電に向けて送った文書ですが、第4項を読んだ時には、愕然としました。
今から4年も前に予想されていて、東電に注意が促されていただなんて。

 4.福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、
   すでに明らかに なっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された
   核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、
   最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。
   そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
   柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、
   津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。


イタリアでは、チェルノブイリ事故の起こった翌年の1987年に国民投票が行われ、
それまでにあった4か所の原発が閉鎖されています。
よくイタリアの友達に、
『日本は、原爆であれほどの被害を受けたのに、なぜ原子力発電所を持っているの?』
と訊かれることもありましたが、返答に困るくらいで、
自分は断固反対、という意見は持っていても、
今の日本の原発の状況を深く知ろうとはしませんでした。
私は無知な平和ボケ患者だったんですね。

で、遅まきながら調べてみました。

原発について興味を持った大半の人は、まずこの個人サイトにぶち当たりますよね。
原発がどんなものか知ってほしい ~平井憲夫~

私もこのサイトから始まりました。
平井さんは、原発の現場で1級プラト配管技能士として20年間も働いていた方で、
100回以上に渡る内部被爆で体を癌に蝕まれ、1997年に亡くなっています。
このサイト内でも何度か、福島原発で過去に起こった重大な事故についても触れています。

平井さんの文書はショッキングな内容ですが、1970~80年代のことを書き綴ったもので
今の小・中学生からしてみると、生まれる前の大昔の話に見えるかもしれませんね。
では、こちらの証言サイトはどうでしょう。

浜岡原発は本当に大丈夫なのか?
これは静岡県にある中部電力のもつ浜岡原発について、川上さんという方が2009年に立ち上げたサイトですが、その内容は平井さんの内容をさらに詳しく書いたもので、まさに平井さんの時代から今まで、原発の現場での状況は何一つ変わっていないことがよくわかります。
川上さん本人も、2008年まで浜岡原発で実際に作業していた経験があり、サイトを立ち上げた直後に大腸ガンを宣告され、現在手術後の経過を見ているところのようです。


平井さんと川上さん両者の証言でまず驚いたのは、原発現場では、事故のない正常な状態でも、
作業員の大なり小なりの被曝が免れず、それも日常茶飯事であるという事実です。

このことを裏付けるものは他にもあります。
こちらは、1995年にイギリスで放映された日本を舞台としたドキュメンタリー番組です。
隠された被爆労働~日本の原発労働者1~

隠された被爆労働~日本の原発労働者2

隠された被爆労働~日本の原発労働者3


全く、こんな職業・職場が、今の日本にあっただなんて・・・。
中学の頃、社会科の授業で初めて部落民という差別の存在を知った時と同じような気持ちになります。『この一見平和な日本の社会には、隠されて続けられていることが裏に幾つもある』
それを見て見ぬふりをしていたどころか、そうと知りながら現在でも下請け会社を通して労働者斡旋を裏で行い・行わせているのが、電力会社と、日本政府なんです。
私達の払う電気代や税金には、こういった危ない仕事に駆り出される労働者の周旋屋(主にヤクザ)のピンハネ分まで間接的に払わされていることになります。

そう思うと、現在福島原発事故の現場でで私達の為に身を粉にしている人たちで『作業員』と紙上に書かれている方達も、これらの労働者たちにあたるのではないか、と思います。

知識のある人が絶対やりたくない命に関わる怖い仕事というものがあるのが原発の現場で、知識のない労働者たちにそれを押しつけることで、原発は運営できているのです。誰かを人身御供にして成り立つ原発。それは今起こっている事故を見てもよくわかります。
これが広島・長崎で痛い目にあっている日本のする、原子力の平和利用?

原子力を、平和という言葉と併用するなんて、できるのでしょうか。

大江健三郎さんが3月17日付のにフランス紙ルモンドに受けたインタビューでの言葉です。

「核の炎を経験した日本人は、核エネルギーを産業効率の観点で考えるべきではない。つまり成長の手段として追求すべきではないのだ」
「原発がいかに無分別なものかを証明した今回の過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する最悪の裏切りだ」


広島・長崎は、国の人身御供になってしまった。あの時点で終戦を決めていなかったら、別の場所にも落とされていたかもしれないのです。大江さんの言う『広島の犠牲者の記憶』というのは日本人全員の記憶であるはずです。


   (つづく)