◆ あれから・・・ | イタリアよもやま話

◆ あれから・・・

寝てたんじゃないんです。
あれから原発について色々な記事も書いたんですが、
結局どれもアップしませんでした。

私は東北地方にあまり知人はいないのですが、放射能の問題は福島にとどまらないので、

日本の親類や友達に放射能に関するサイトや、注意を書いてメールで送ったりしていたら、
ある人から
『実際に日本で暮らしている限り、どうしようもない』
と言われ、ちょっと引いてしまいました。
確かに、ボールが落ちてくる可能性も皆無に近い球場の外から、
球場内でも外野にいる人に、『あぁせい、こぅせい』と言っても、説得力ありません。
これは実際に日本へ帰ってみなければ、同じ日本人としての意見は言えないな、と思いました。

それで帰る機会をもったのです。

突然決めたので、11日間という短い期間でしたが、帰ってみると、
「東北地方の各県の位置関係が、今回初めてようわかったわ」
等という声が聞こえる私の地方では、放射能に関する危険感、ゼロ。
皆、1年前に帰った時と変わらない生活をしていました。
雨が降っても、ちょっとぐらい濡れたって構わないし、
ましてやマスクなんかこの時季にしている人はいません。

実際に私もそこにいると、その雰囲気に迎合するしかないという感じでした。

イタリアに居る時よりも、原発事故に対する興味すら少なくなりがちなのです。
東京の放射能値だけでなく、名古屋、大阪、西日本の放射能値は、確実に事故前よりも上がり、
必ずしも安全ゾーンとは言えない値すら出る日も多いのに。
そして、その放射能は、毎日、どんどん、地中や海中に蓄積されていっているのに。
確かにテレビでは放射能のことを取り上げる番組もありましたし、
しきりにソーラーパネルの宣伝をしているのも見ました。
でも、それは生活の中のほんの一部の出来事なんですね。
日本の生活って、あまりにも雑多な情報や、やらなければいけない事にあふれていて、
通勤→仕事→ネット→メール→お付き合い→お中元→お買い物→電車→定期券→財布→携帯→テレビ→プロ野球→高校野球→スポーツ→子供のスイミングスクール→ママ友→同窓会→...etc, etc
とてもとても、原発事故が生活の中に深く入りこむ隙間など、なさそうなんですね。
平和ボケ、と言ってしまえばそうなのですが・・・。

そこにつけ込む政府。


福島の果物や野菜を食べましょう、等と、農家の生活保障をする気がないがために

テレビの目の前で食べてみせる首相。なんということ!
食べたいならそれは自由、貴方とあなたの家族だけ食べていてください、
でも自分とこの作物を放射能にやられたすべての農家に、
事故を起こした東電と国は補償金を出すのが筋でしょう。
彼らは風評被害なるものの被害者ではない、確固たる原発事故の被害者なんです。
補償ができないから、野菜を売らせるために、皆で放射能野菜を食べましょう、と?
福島県下にいて、ただでさえ他県よりも強い放射能を浴びて暮らすことを余儀なくされた
放射線に一番敏感な子供たちに、
放射能の許容値を上げて許容値とし、それを給食で食べさせよと?
非常時に許容値を上げるなんて、何のための許容値を制定したのか。
一体、日本はどういう国なの?
自分とこの子供に平気で毒を盛れる国なの?
最近、親の幼児虐待が増えたのどうのこうのって、国がそれを率先してやっているではないの。
負けると重々わかっていた終戦まじかの時期に、日本の次世代を担うべく若い純真なエリート少年達を、
行きだけの燃料を積んだ飛行機に乗らせて爆弾となるのを見殺しにした、
あの時代と何も変わっていないのではなかろうか。
あの時に二つも落とされた原爆で、本当に痛い目にあったのは日本という国家ではない、
広島や長崎で実際に被爆した人達と、それをすぐさま救助しに現地へ行った人達だけです。
あの時も被害者の多くは、市内でお国のためにと働いていた多くの若い少年少女でしたよね。
今回の政府の処置をみていると、基本的にはあの時とそんなに変わっていない気がします。
原爆も2個目を待ってやっと終戦布告。
福島級の原発事故も、一つでは足りないのでしょうか?

もうすぐ戦後ずっと続けられてきた原爆の日の式典があり、その後終戦記念日も迎えますが、

福島原発事故で3月から放射能が出続けている状態の国として、
原発がまだあちこちで運転され続けている国として、
核のない世界を希求する『平和宣言』を、日本はどういう名目で訴えることができるのでしょう。


書きだすと怒涛のように言いたいことはありますから、
ぼちぼちブログ再開です。
もちろんイタリアのよもやま話にも、もどりながら。