イタリアよもやま話 -6ページ目

◆ ヴォーガ・ロンガ

先日の日曜日、30度を超える夏日となりましたが、
ヴェネツィアでは楽しいお祭り、年に一回のヴォーガ・ロンガ、
否、正しくはヴェネツィア方言で、ヴォーガ・オンガでした。
手漕ぎの舟でヴェネツィア本島から周辺ぐるっと30キロメートル近くを漕いで回る大会です。

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↑ルート。(HPのを借用) このルートは、モーターあってもかなりの時間かかります。
公式HPはコチラ

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サンマルコ広場前の内海が出発/ゴール地点 (HPから借用)

この大会は、商業目的ではなく、競争でもない、
「参加することに意味がある」
という大会で、誰でも参加することができるのですよ。
(ただし、16歳未満は同じ舟に監督者が必要)
モーターや帆のついてる舟はダメ、というだけの簡単なルール。
大会の開催時間中は、その運行ルートである大運河やサンマルコ前で、
ヴァポレットやタクシーボートなど、
モーターのついている舟は午後3時頃まで運航禁止になります。

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カンナレージョ運河(HPから借用)

この日は、普段は禁止されている、1人用小型カヌーも運河に自由に繰り出せるので
外国人のカヌーでの出現が多く見られました。
ヴェネツィア漕ぎは、立って漕ぐので
座って漕いでいるのは、ほとんどが外国人、またはイタリアの他の地から来た参加者です。

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この手の視界の低いカヌーが、大きな水上バスやモーターボートに混じって動き回るのは危ないからか、
普段は禁止されているそうです。


この大会は、競争ではないので開催終了時間もいい加減です。
30キロメートルですから、舟のタイプや乗組員の人数によって費やす時間が大きく異なるからです。
でもお昼ご飯頃にはたいてい終わっていますね。
その時間帯になると、
本当に30キロ漕いだのか、大運河だけをひやかし半分に漕いでるだけなのか、

そういう外国人の舟が、普段とは打って変って静かな大運河にちょろちょろと見られます。
(実際30キロ漕いだら、かなりしんどいし、お腹減るで~。)


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ヴァポレットが朝から午後まで運航休止なのですが、
大会の舟の大半が通った後には、
渡しゴンドラ「Traghetto」が、大流行りです。
一回50セントのゴンドラ。
それを見ながら通り過ぎる、仲間の観光用ゴンドラ漕ぎに、
「よーっ、今日は稼ぎ時だね!」
と冷やかされていました。
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◆ 迂闊にできない命名


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イタリア語で、船はNAVE(ナーヴェ)、舟やボートはBARCA(バルカ)で、
どちらも女性名詞です。
だからかは知りませんが、舟のネーミングには女性の名前がつけられます。
個人のほんのちょっとした小舟であろうと、
大きな漁船であろうと、皆女性の名前がつけられます。
対して日本の船は、地名+丸というのが多いですよね。

女性の名前ですから、
やっぱり舟の持ち主(ほとんどが男性でしょう)の恋人・奥さんの名前が
つけられることが多いみたいです。

でも、最近は離婚も非常に多いし、
迂闊に婚約者や奥さんの名前、つけれませんね・・・。
娘がいたら、その名前というのが無難でしょうか。

写真の舟はNicoletta(ニコレッタ)という名前。
ヴェネツィアでは結構多い女性の名前です。
小さな二コ-ル・可愛い二コールという感じの名前で、
夫も憧れの二コール・キッドマンを画面で見るたびに
そう呼びます・・・。


◆ ヴェネツィア人にとっての外車・日本車?

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舟やボートの修理工場。

ヴェネツィアでは、ご存じのとおり車がないのですが、
その代り、ボートがある。
VOLVO、HONDAにボートのモーターがあるんだなってわかる。
(実際によく見かけるのはYAMAHAのです。)
なんでもないことだけど、なんだか改めて感心する。



◆ イタリアでの「営業中」


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先日のお昼13時すぎ頃、サンマルコ付近のわりと最近開店したお店に入った。
『何かお目当ての物があるの?』
と気さくな店員さんに訊かれたので、
『いいえ、いつも閉まってる時にショーウィンドウだけ見ていて、
やっと開いてるのを見たので・・・』
というと、
『あら?おかしいわねぇ。それはいつ?』
という。

一昔前までは、観光客でにぎわうヴェネツィアといえども、
太陽の一番高い時間になると、
まるで西部劇のギャング同志の撃ち合い前の集落のように、
ピタリとどこの店も閉めてしまい、町中がなんだかシーンとして、
太陽だけがやたら熱く照っていて、
開いているのは、ならず者が最初に入ってゆく酒屋にあたる、BARくらい、
という状態になったものだ。
ヴェネツィアの場合、そこを観光客が手持無沙汰に歩いていた。

ところが、最近イタリアでは、お昼時間も開いているスーパーやお店がとみに多くなった。
店員さんのこの言葉では、このお店もその類のようだが・・・
『一昨日の今くらいの時間かな。』
と答えた。
『なんだぁ~この時間ね。今の時間は、私たちだって何か食べなきゃねぇ。
今だって、もう閉めるわよ。』

あぁ・・・・ごもっともです。
そうですよね、同じ人間ですものね。
最近は大不況もあって、たて前上の開店時間にお昼休みはなくても、
イタリアのお店には店員さんが1人の小さなお店の場合、
実際には、やっぱりお昼休みあります、という状態。
小一時間戻ってこないし・・・。

イタリアの個人経営の小さなお店では
『TORNO SUBITO』 =すぐ戻ります
とドアに掛札があって錠がかかっている(=店が閉まってる)ことが多い。
ヴェネツィアの場合だったら
その辺のBARでコーヒー飲んでるか、近くの他の店でダベッてるか。
イタリア人の『SUBITO=すぐ』は、日本人の『すぐ』じゃない。
しかも、出て行った時間がわからないので、
下手すると出たばっかりで、30分くらい戻ってこなかったりする。

こういう、ラテン系独特の『時間の余裕』を見ると、
今のイタリアの経済難って、日本人の目で見た場合、
一体どこまで本当なんだろう、と思う。







◆ 咲いた!

先月の記事に、パンに入れる亜麻の実を鉢に蒔いたことを書きました。
(過去記事:亜麻の実

その花が、もう咲きました。
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実にかりんな青紫の小さな花です。
丈は40cmくらい、
そよ風になびくので、小さな鉢が、
ちょっと草原のようです・・・(イメージ膨らませすぎちゃうか。)

あの実から、水あげるだけのほったらかしで、
こんな可愛い花がこんなに早く咲き揃うなんて、
同じ生物でも人間とはえらい違いですね。


さて、この後、あの実が実るのでしょうか・・・?




◆ ガッカリ度がどん底をつき抜けた日

実は、昨日の記事のような意見に落ち着いたのは、
ここヴェネト州で唯一日本人の料理人がいる“高級”レストランに行ってきたから。
結構お高いことで有名で、周りに行ったことがある人もいないような場所なので、
行く前から異常な期待感を持っていただけに、
失望感も非常に大きく、
『これなら、中国人経営のところで、安く食べた方がマシ。』
と言わせる内容でした。
(張り切ってデジカメも持って行ったのに、写真一枚も撮る気になれませんでした。あしからず。


寿司ネタはまぁまぁだけれど、シャリが全然ダメ
カリフォルニア米でしょうか・・・ちょっと長めでザラザラしたお米、それをゴンゴンに握ってありました。
海苔巻きは、作ってから一日経っている感じで、
固くなったシャリに海苔がへばりついていました。
天ぷらは、べっとりした分厚い衣で中身が判断できませんでした。

この天ぷらを一目見た時には、
私の
ガッカリ度はまだ、どん底でした。
実際に食べるまでは、ガッカリが、
どん底に溜まっているだけだったのです。


一番上等な天ぷらを頼んだのに、
日本的な素材は一切なく、ズッキーニなどがありました。
海老などは、衣の5分の1といった細さで、
安物の大衆食堂でも、こういうエビ天はないかも、と思ったくらい。
おつゆだけで、大根おろし等もなし。

私のガッカリがどん底の底を抜けたのは、
そのてんぷらをかじった時。
かじると、中だけがチンチンに熱くてスゥ~っと白い湯気が立ったのです。

電子レンジで加熱した時の独特の現象です。
 
ご飯も、お子様ランチのように丸く型どったものが、お皿に盛られてきて
やっぱり長い米粒です。
お箸で形を崩すと、やっぱり中から湯気が・・・これも電子レンジで す。
 
しかもパラパラしていて食べ にくい・・・。
仮にも高級レストランで、電子レンジなんてもっての外だと思いませんか。

メニューには日本人コックさんの色々な創作料理もあったのですが、
それぞれ一皿30~40ユーロもしているので、
様子を見ながら追加で頼もう、と思っていたら
お寿司のご飯があまりにゴンゴンに握られていたせいか、
胃の中でおみそ汁と一緒になって、
幸い、お腹がいっぱいに膨れていたのです。

じゃぁ、デザートに、抹茶アイスでも置いてるかといえば、
日本的なお菓子は皆無。
しかも均一9ユーロ・・・
どんなレストランでも、食後のデザートに9ユーロってのは、稀。

ここはイタリア人経営で、日本からの料理人を呼んできて数年前にオープンしたお店。
いかにもモダンな感じの内装で、薄暗く、
掘りごたつ風の黒いテーブルが並んでいます。
(近くで見ると、黒ガラスのテーブルの表面は傷だらけ。
ちょっと大昔に流行ったインベーダーゲームのテーブルのようです。)
もちろん店員さんは土足で歩きまわっているので、
土足で歩く床の高さが、
テーブルや、座った自分自身に近くなるのが、
日本人としてはちょっと違和感ありました。
そして店員さんは日本人ではなく、その対応も決して愛想のよいものではなく、
なんだか居心地悪かったです。

驚いたのは、料理の最後辺りで店員さんがテーブルのお皿をいったん片付けたあと、
ガラス磨きのスプレーと布を持ってきて、
私たちの座る鼻先でテーブルに直接スプレーして布で拭いたこと。
イタリアだったら、テーブルクロスがあるけれど
日本料理にはそれが無いので、そうやって綺麗にしたのでしょうが、
揮発性のガラス磨きスプレーだし、ちょっと不快でした。
どうしても拭きたかったのなら、水拭きでよかったのでは、と思いました。

お料理の途中から、
『こんなんは絶対あり得ない。日本人コックさんをもう使っていないのではないか。』
と思い始めていたので、食後、
「日本人コックさんにご挨拶したいのですが」
というと、なんと、本当の日本人のコックさんが出てきました。
正直、意外でした。
とても気さくな方でした。
彼が仕事中ということもあり、あまり長話はできませんでしたが、
どうやら日本人は彼一人で、厨房の他の人たちは日本人ではないようです。
彼は創作料理に専念するのか、
寿司めしや天ぷらは、きっと外国人が作るのでしょうか。

この方が、厨房内で実際何に携わっているのかはわかりませんでした。
でも、例え彼が手がけなかったにせよ、
あの寿司のシャリと、天ぷらの揚げ方でよし、と思うのなら

その職業意識にはかなり疑問があります。
正直、あの寿司飯、天ぷらなら私の方が上手だし、
日本人の作ったもので、あそこまでヒドイのは食べたことないかも。
ただ、オーナーはイタリア人なので、
彼も雇われ人として口が出せないのかもしれません。

あ~ぁ・・・これで、大衆食堂並みのお値段なら、何も言いません。
とにかくガッカリがどん底を抜けた経験でした。









◆ イタリアの日本料理レストラン

イタリアでの日本料理ブームは、まだまだ続きそうで
あちこちにRISTORANTE GIAPPONESE(日本レストラン)が開店しています。
でも、その内容は、増え続ける中国人が経営者で、
中華料理よりも高い値段のつけれる日本料理を扱っている、というものがほとんど。
となると、日本人にとってのお味は『ガッカリ』であることの方が多いのです。
残念なのは、こういう似非日本料理のことを、日本料理だと思われてしまうこと。
ブーム以前、教養のないイタリア人には
「生の魚を食う野蛮な東洋人」
などと思われていた日本料理ですから、
「SUSHI 大好きだよ」
と言われると嬉しいのですが、内容的にはちょっと悲しいですね・・・。

世界中の食べ物を食べたことがあるわけではないのですが、
日本料理ほど、味付けが微妙で細やかな料理は無いのではないかと思います。
(あ・・・ベトナム料理は、結構そういう意味の微妙なお味が美味しかったかな・・・)
西洋料理では油(お肉の脂肪分やオリーブオイル等)で味がグンと引き立ち、
それでゴマかせてしまうのですが、
油をあまり使わない日本料理では、素材本来の味を上手く引き出さないといけない、
そういう意味で、日本人の味覚って発達していると思います。
(日本でも、西と東でかなり違いますが・・・)

でも、一般的なイタリアでは本格的な日本料理はありません。
(日本人のビジネスマンが接待に使うようなミラノの高級日本食店などでは美味しいのかなぁ。)

そりゃ、無理ってもんですよね。
グルメ大国の日本ですら、あまたある飲食店の中で
本当に美味しい処はわずかです。
料理人や材料が揃っていてもそれですから、
イタリアの数少ない日本食レストランに、美味しさを求めるのは無理なのです。
ちょっとだけ郷愁に浸れれば、それでいいのかもしれません。



◆ 『おくりびと』のイタリアでの評判

やっとイタリアでも映画『おくりびと』が公開になった。
結果を先に言ってしまえば、
この邦画のイタリアでの評判はよい。
この映画をネットでダウンロードして観た友人がいたく感動して
DVDとして貸してくれたので
私もやっと、あちこちの映画祭の賞をもらったこの映画を見ることになった。
イタリア語の吹き替えでしか見れなかったのはちょっと残念だけれど、
さすが吹き替え王国のイタリア、
日本人俳優たちの声色に非常に近い声で、不自然さは全くなかった。

この映画が外国でウケるのは、
誰にも避けられない『死』をテーマに、
世界中で行われる死者のための儀式(お葬式)の前の段階で、
死者に敬意を払いつつ行われる遺体お清めの儀式が珍しいからだろう。
特に目につくのは、その形式を重んじる日本的な手さばき。
ああいう手さばきは、西洋には無い。

でも、私個人の感想はというと・・・
う~~ん・・・という感じであった。
イタリア人が感心する「死者への敬意」も、
ああいう形式的な手さばきによって、ほんのちょっとだけしらけてしまうのを否めなかった。
上司の山崎努の方は気にならなかったけれど、
主人公役・本木雅弘の手さばきは、時に料亭の仲居さんのようでもあったしなぁ・・・。
彼の真摯で真面目そうな顔立ちが、その欠点をカバーしていたけれど。
この映画での彼を、すごい俳優だとは思わなかったけれど、
その顔立ちでかなり得をしていると思う。

私は現代の邦画はほとんど知らないので、
そういう意味で、無知なのだけれど、
素人の感想としては
不自然さがあちこちに漂うテレビドラマレベルであるように見えて
なんであんなに沢山の賞をもらったのか、ちょっと不思議に思った。

細かいことを言うとキリがないほど、
この映画はストーリーの展開がテレビドラマ風。
短い時間内で、一つ一つを深めるよりもストーリーの流れに重点を置く、というドラマのように、
すべてが深い洞察なしに、さっさと進んでいく。
すべてにおいて、愛着・執着に関しての説明が薄い感じがした。
主人公のチェロへの執着、生まれ故郷山形の自然への愛着はもとより、
何故主人公が世間から白い目で見られる納棺師という職業に愛着を感じるのかも、
また、その理由であろう上司への尊敬の念も、けじめよく描写されていない。
すべてが、
『ここで深い考え・葛藤があったことは察してください』
という風に進んでいく。
妻が主人公の新しい職業の内容を知り、それを恥じて東京に戻ってしまっても、
その1~2か月間の夫婦それぞれの葛藤は、ほとんど描かれていない。

ところどころ、ちょっとお笑いを盛り込んでいるところも、よしあしじゃないか。
この映画の主旨を曖昧にしてやしないか。
人生、滑稽なことも多いのさ、という意味だろうか。
死という重たいはずのテーマとのバランスを考えたのかもしれない。
が、肝心の死についても、かなり美化してやしないか。
納棺師という職業に対する世間からの差別意識も、チラッと強引に見せる程度で、
かなり軽視している。それとも、ここも察して考えなければいけないのか。

ちなみに、妻役の広末涼子は本当にきれいな女性だけれど、仕草がまるで幼くて、
ティーンエイジャーの頃の彼女が出演した映画での薄っぺらい演技と全く同じでガッカリした。
もっと味の出る女優さん、いたのではないか。

そして主人公が子供の頃に家を出て行った父親との意外な形での『再会』でお話は終わるのだが、
その遺体役が、根岸徹というのも・・・映画の完成前に実際に亡くなったこの俳優さんには悪いけれど、
寝てるだけなら無名の老俳優を使った方が良かったと思うのだが。
日本人なら、
『あ、根岸徹だ・・・』
と思ってしまうのは避けられない。
しかも、70歳という設定なのだけれど、
どう見ても70歳の顔の肌ではないところに、テレビドラマ的無理がある。

一番印象に残ったのは、
山形県の美しい山と、白鳥の群れだった。

という訳で、個人的にはさんざんの批評を書いたけれど、
イタリア人には何故か評判はよい。


◆ うるさいジャリンコ


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カステッロ地区のある広場で。この区は大衆的・下町的な雰囲気がある。

日本でも最近はサッカー少年が増えていることとは思うけれど、
イタリアの子供は外で遊ぶとなるとPALLONE=ボール。
そしてPALLONE=ボールというと、サッカーの代名詞である。
子供だけでなく、大人もボールがあると、遊びだす。

ちょっとした広場があると、子供たちはサッカーで遊ぶんだけれど、
それも最近のイタリア人の子供は、それなりに忙しいらしくて、
以前に比べると広場で遊ぶ子どをも見るのは減った。
普通の町では、治安の問題も大きいと思うが、
ヴェネツィアの場合、治安はよいので、まだまだサッカーで遊ぶ子供を見ることができる。

ところで、このサッカーが
実にウルサイ

ヴェネツィアの場合、野原なんかほとんどないので
石畳の広場に、周りは石の建物に囲まれている。
で、ボールがどこかに当たる度に、その反響音が半端じゃないのだ。

私の家の下には恰好の広場があるのだけれど、
2階(日本でいう3階)に住む私には、地上で通りすがる際に聞くよりも
音が何倍にも大きく反響し、ボワンボワンと非常にうるさい。
しかも子供は黙って遊ぶ訳じゃないから、叫び声もすごい。

じゃりんこめ・・・と思い窓から顔を出して、ふと脳裏に何十年も前の私の姿が浮かんだ。

当時イタリアではローラースケートが流行っていて、
私もよく小学校が終わってから、友達と一緒に遊んだものだった。
大理石でツルツルの石畳の場所で、石の家に囲まれた場所を、行ったり来たりジャージャーと。
その頃のローラースケートは、今のと違って、4つの固い輪が2個ずつ平行についているもので、
非常にうるさかった。
当時は北イタリアも昼食後には仮眠を取る習慣がまだまだ普通で、
午後2時~3時というと、あたりがシーンとするくらいであったのに、
その時間帯にローラースケートで、ジャリン子たちに窓の下を行ったり来たりされたらたまらない。
ある日、そこの住民が窓から、顔を出して、すっごい剣幕で私たちに怒ったのを思い出した。

そうだったそうだった・・・。
私も怒られたわ。

だからと言って、こいつらジャリンコ達を今怒らない理由はない。
怒られることも、子供の頃のいい思い出になるのだ。
と思い返し、声を出そうとしたら、向かいの建物の窓からおばさんが、
『あんたら、いいかげんにして!家じゅうに響いて何もできやしない!
遊ぶなら、向こうの大きい広場の方へ行ってちょうだい!』
とイタリア人特有のよく通る声で叫んだ。
一件落着。













◆ ムッソリーニの置き土産

先日のヴィラの町 に、こういう珍しい物がありました。
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『なんじゃ、これ。』
と私が言うと、
男性軍が皆笑いだしました。
『ムッソリーニからの遺産だよ』

公衆トイレです。
もちろん、今では使われていなくて、柵がありました。
よく見てもらうとわかりますが、
中には、足を乗せる形があります。
とても入りたいと思わせるようなものではありません。



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でも、これって
男性用だけなんですけど。
(この手の女性用っていうのはちょっと怖いが・・・)

こういう男性用だけの公衆トイレをムッソリーニの政府が設置したということは、
1.当時の男性は、あちこちで立ちションしていた。
2.当時の女性は、あまり外出しなかった。

というのが想像できますね。