イタリアよもやま話 -90ページ目
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サッカーの大義名分

イタリアのサッカーが日本のプロ野球に相当するって?
とんでもない、そんなレベルじゃござんせん。

私はあまりサッカーやら野球やら、人のやる球技を観戦するのに興味はないのだが、
そんなの日本だったら別にひけ目も感じないし、生活する上で何の弊害もない。
ところがこっちはサッカー話題で親交を深め(もちろん実際に遊んだりする大人も多い)、
重要なサッカーの試合観戦は、何よりも優先され、大義名分が通ってしまう。

例えば、ある仕事の打ち合わせが重要なサッカーの試合時間にひっかかると、
時間が変わったり日程が変わったりするのだ!
「んな、アホな!?」と思うのは日本人。
イタリアでは当たり前のことで、
サッカーに興味のない少数派の人も(それに便乗して?)不平も言わない。

しかもイタリア人の観戦方法の日本人との違いは、
男達が皆で集まって一緒になって観ないと気がすまないこと。
自分の支持するチームのサッカーの試合のある午後には、
大の男が何人もテレビの前に集まって皆で一緒に観戦する。
ひどい時には仕事場にまでテレビを持ち込んでその時間帯はその部屋に集まって観る。
そういう風に段取りを組まない人達は、
テレビのあるBAR(軽い感じの飲食店)に行くとそこにはもう他の人が集まっている。

ワールドカップの時などは、そのために
普段は置いていないテレビを仮設したりするBARもあるほどだ。
顔見知りであろうがなかろうが、かまわない、皆で一緒に見る、
というのが大事なようだ。この訳はいまだに私には分からない。
皆でワイワイ大声で喜んだり、罵倒を叫んだりして試合観戦は進んでゆく。

私は、くだらないイタリアのテレビなど見ても無駄だと思い、
テレビが壊れたのを機会にテレビのない生活をしているが、
サッカーの試合の日に家の窓を開けていると、
いつゴールしたか、どっちに点が入ったかが、
近所あちこちに集まる人のどよめきや叫び声でよ~く分かる。
試合が終って勝ったか負けたかも手にとるようによく分かる。

イタリア人の反応として面白いのは、勝ったら物凄いドンチャン騒ぎで
(これは阪神が勝った時の大阪道頓堀付近の雰囲気が全国で起こると考えてもらえればよい)
負けた時が、ちょっと日本人と違う。
サラッと普段の生活に戻るのだ。
まるで何も無かったかのごとく。正確にいうと、何も観なかったかのごとく・・・。
「悔しがる」とか「失望して落ち込む」姿など見たことが無い。
あんなに待ち焦がれて楽しみにしていた試合だったのに、負けてしまうと、翌日は話題にも出さない

これは一体どういうことだろうか。この理由もいまひとつわかっていない私である。
そして観戦者が圧倒的に男性が多く、
女性はほとんど居ないのも、イタリアの特徴の一つであろう。
日本のようにサッカー選手に向かって黄色い声でラブコールする女性軍など、
見たこと無い。もちろん、実際は女性にモテモテなんだろうけれど。

そう思うと、イタリア男性達が一団となって、女性を寄せ付けずに試合を観戦するのには、
もしかしたら、母、恋人、妻、という女性から解放されて、
自由だった頃の童心に帰るのを喜んでいる、という理由がある気がしないでもない。

ピサの斜塔―やっぱり名所かも…

  イタリアもかなりいろんな街を周ったが、
何故かピサだけは地理的にも少し辺鄙な地方にあるせいか、訪れる機会が今まで一度もなかった。
それがこの夏にやっと実際の斜塔
お目にかかることが出来た。

友達から
「ピサなんて斜塔付きの大聖堂しかない町」
と聞かされていたので別に期待もしていなかったが、
なんのなんの、やっぱり有名なだけあって、すごく良かった。

町は中世の城壁に囲まれており、中に大聖堂と斜塔がある。
斜塔も 予想以上にかなり傾いているが、切符を買えば観光客が上れるようになっていた。
(その切符があまりに高かったので、アホらしくなって私はのぼらなかったが。)


何よりも目を引いたのが、大聖堂の立地条件である。
イタリアの大聖堂は、一般的には町の中心に石畳の広場があり、
その広場に面して立てられていることが多い。
となると、そこには市役所や喫茶店、レストラン、ホテルなどが隣接していることも多い。
ころが、ここの場合石畳の広場はなく、緑の広い芝生に囲まれているのだ。
そこにポツン、ポツン、と大聖堂、斜塔、洗礼堂、墓地などがあり、
なんだかちょっとアメリカンとも言える、イタリアでは他に見られない様式だ。

大聖堂の方が中も外もすばらしく、中央のモザイクに圧倒される。
2階に回廊が張り巡らされ、ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂と少し似た構造になっている。
サンマルコを見たときは、なんてすばらしいんだろうと感心したものだが、
こっちの方がその大きさのせいか、より威厳があり、上品でありつつも輝かしい雰囲気だ。

ついでにもう一ついうと、ヴェニスはもとより、普通の大聖堂にはトイレもないので
ちかくの喫茶店にトイレ目的で入らなければならないが、
こっち大聖堂のほんの2~30m隣にある。
30セント程度払う事になっているが、とても掃除の行き届いた広くて新しいトイレだった。
こういう小さな事もプラスの印象となって残るものなんだなぁ。

郵便―この上なく不安

イタリアの郵便情況の悪さも、これまた有名だ。

それでもEC統合になって最近は、他国と歩調を合わせるため、
優先郵便切手」というのが出来て、
この切手を貼ると手紙とかも、3日以内には国内、日本行きでも1週間以内に着くみたいだ。
もちろん料金は割高だけれど、そっちの方を愛用している。
こちらの方がその名のとおり優先されるので
そのおかげで普通郵便は後回しにされ
今や着くかどうかもわからない郵便となってしまった。

この夏にナポリの友達から結婚式の招待状が普通郵便で届き、
開けてみると、もうとっくに結婚式は終って1ヶ月経った後だった・・・。
いったいこの招待状は 3ヶ月間、どこをほっつき歩いていたのか
ナポリ人の結婚式は遠い親戚の人達まで招待するので、
一人くらいから返事が来なくても確認の電話もない。
急いでお祝いの電話をして遅れた理由を言ったけれど、
たいしてビックリもしていなかった。

この優先郵便が導入される際に、
新聞に過去の郵便遅達ワースト10が載ったことがある。
どれもギネスにのせてもいいくらいのものだった。

3kmの隣村の友達まで送った葉書が30年後に届いた だとか、

同じ町内で25年もかかった だとか、

40年後に宛先不明で戻ってきた とか、

おとぎ話か、笑い話か、といった類のものであった。
それでもこれらは一応、めでたく届いたものばかりである。
届かなかったものはどのくらいになるのか・・・・。

実際に私の友達が数年前、この狭いヴェネツィア内に住む親友の誕生日に、
その親友がかねてから捜していた本を郵便で贈って驚かすつもりが、
誕生日をとっくに過ぎても何も反応がないので、しびれを切らせて尋ねると、
「そんな本な受け取っていない」
という。で、結局その本はそのまま消失したらしい。
こんな風になくなってしまう郵便物も多々あった。

ギネスにものせられない。

日本人の間でも昔はCDとかは日本に送っても絶対に着かないものと有名だった。
この頃は大分CDにも慣れてきたし、いろんなCDがあるので(コンピュータ用のとか)
そういう例もきかなくなったが。

電車-この上なく不便-安いから?

イタリアの鉄道の不便さは世界でも有名だ。
本数が少ない上に遅れは必至。しょっちゅう行なわれるストライキ。
近年少しはマシになったといわれるが、他国に比べるとそのレベルはまだまだである。電車を使っていると誠に腹立たしい出来事ばかりで、気持ちよく乗れたという日は少ない。それだけで一年分のブログが書けるくらいだ。
ただ、運賃の安さは他国の比ではない。このごろは数年前に比べるとそれでもかなり上がったし、通常運賃の普通・急行列車を減らして、何かと特急(といっても急行とほぼ同じ停車駅)を走らせ、特急運賃を払わせているが、それでもヨーロッパ他の国々に比べると安いと思う。
例えば50キロ走って400円位、250キロで1600円(特急だと3000円)くらいである。一ヶ月定期券だと10日間往復すれば元が取れる。だから遅れようと、車内が汚かろうと、文句は言えないかなってのがあるんだよね。
でもあまりに腹立たしい事が重なると、料金高くても非常に快適で便利な鉄道が懐かしくなるんだよね~。

イタリア人にとっての日本人

イタリア人にとっての日本人とは?

* 黄色くて目が釣り上がっている。
子供はもちろん大人でさえも時々、日本人の私を前にしての会話の中で、私たちの顔特徴として手で目尻を吊り上げて見せる。ひどいのになると通りすがりにそのジェスチャーで「チンチュンチャン!」とか言って馬鹿にされる。こういうことするのは小さな子供よりも、若者に多い。決して鼻が小さくて低いだとか、後頭部が平たいという実際日本人に共通する特徴は挙げない。
以前の私は傷つき怒っていたが、『もうちょっと自分の目尻が上がっていた方がいいな』と思い始めるくらいの歳になった最近では、こうされるとなんだか不思議な心境。
まぁ概してこちらでは、外国人に限らず、他人の身体的特徴を相手の気持ちを考えずに平気でジェスチャー入りで指摘する大人が、日本に比べると多いことは確かである。無垢と言えば無垢なのだが、単に大人げない、教養がないと言える。
(最近はさすがに、こういうアクションに出るイタリア人は減ってきたみたいです。2010年記)

* 極東の民俗
訳すとEstremaOriente。彼らにしてみるとアラブやらインドやらといった国よりもっと奥離れたへき地に住んでいるオリエンタルなんです、私たち。見た所は中国人と同じ。だから「チンチュンチャン」なわけで、私が日本人とわかっていても、「中国ではどう?」と口が滑ってしまう人はかなり多い。
(この手のはまだまだ存在します。2010年記)

* テクノロジーが戦後急速に発達した国の民俗
=それまでは先進文化も何もない後進国だった。
西洋美術や西洋音楽もごく最近になって取り入れたばかりで、まだ文化として浅いと思っている。でも私の見たところ、イタリアでは美術も音楽も必修過程じゃないし、簡単な楽譜すら読めない人は日本人より遥かに多い。イタリア人は日本の文明発展がすべて戦後に起こったと勘違いしている。が、明治維新以来日本人はかなり西洋にハマッたことは知らない。チョットやそっとのハマリ方じゃなかった。ここ130~140年の間に浸透して吸収したものは大きい。戦後のアメリカから受けた文化的影響などは、それに比べたらたいしたものではないと思う。

* どこでも団体で訪れ、何でもカメラに撮る。
確かにそうかもしれない。私たち日本人が海外旅行が気楽にできるようになった頃には、気楽に国産の安い性能の良いカメラが買えるようになっていたからだ。しかも日本はなんといっても遠い。気楽に旅行と言ってもそれなりの時間とお金をかけている旅行で、訪れる場所が最初で最後の場所になる可能性は多い。イタリアの名所といわず、旅行の随時をカメラに収めて持ち帰り、思い出としてアルバムに収めたくなるのは当たり前だ。
その証拠に、イタリアから日本に観光にくる人もカメラを随時携帯しているではないか。ヨーロッパ各地に行くと、イタリア人の団体の多さにも驚く。ただ日本人団体客のように、引率の人にアヒルの雛のようについてまわり、彼の一声でさっと集まったり、一人だけ遅れて団体に迷惑を掛けないようにと務める人はいないので、一見団体に見えないこともある。でも団体でいることは、むしろイタリア人の方が好きのようである。

* 魚や海藻を生で食べる=ゲテモノ
最近になってやっと日本食ブームになってきて(といっても商魂逞しい中国人経営がほとんど。こういうことやってくれるから益々中国人との区別がつかなくなるんだろうね)生の魚も美味しいと分かってきたようだ。でもダメな人は多いし、先日、まだ魚にかじりつくと思ってる人がいたので驚いた。なんせ脳にインプットされてる人は、緑茶を飲ませても「魚の匂いがする」という。困ってしまう。
ひどい人は、犬・猫・ヘビ・虫なんかも日常的に食べると思ってるから、始末におえない。最近イタリア人の友達と数人で日本に帰って一緒に街中を散歩していた時、たまたま中国系の店の前で信号待ちになって、ガラス瓶に収められた「考えられる限りのありとあらゆるゲテモノ」のアルコール漬けを見た。私も驚くものばかりだったが、いくら私が「この店は中国系で、こんなところに来るのはマニアくらいだ。」といっても馬耳東風だった。強烈な日本の思い出として彼らの脳に刻み込まれた事だろう。そしてこの土産話は大袈裟に語られつづけることだろう。とほほ。
(ブームとは怖いもので、日本食の美味しさが分かることがトレンドになりつつある今。2010年記)

* 勤勉でにこやか、よく気が付く行儀のいい民俗

悪いイメージばかりではない。日本人は家賃の払いは遅れないし、時間には非常に正確で、勤勉。しかもあたりが柔らかく、にこやかで、よく気がつく。(こちらの男性にオリエンタルの女性が好かれるゆえんである。)とにかく社会で共存する場合、問題の少ない民俗といえよう。でもイタリアに住み着いている日本人は、そういった日本人社会に居辛くなってこっちに来たんだということ、わかってるのかな?
(最近の中国移民大ブームで、さすがに日本人との性格の違いはわかりはじめて・・・いるかな?2010年記)


ナポリの市バスで

ローマ人の友達がナポリで市バスに乗った時の、驚く話を聞かせてくれた。
ある停車場でお婆さんがえっちらおっちら乗り込んで、○×△を通るかどうか、運転手に聞いてきた。
「シニョ―ラ、全く反対方向だし、この通りにその方向に行くバスはないよ。困ったねぇ。次で降りても、あと2回は乗り換えなきゃいけない。」
お婆さんは途方にくれて、どうしたらよいのかわからないという様子。そこで運転手、乗客皆に向かって、
「すまないけれど、このおばあさんを送って○×△へ回り道したいので、急ぐ人はここで降りて次のに乗って下さい、いいですかー。」
と言うなり、バス停で急ぎの乗客を降ろして、おばあさんを目的地まで送ったとか。友達は観光だったので面白半分に乗りつづけてたら、おばあさんを送った後はまたもとの路線に戻って勤務を続けたらしい。なんだかすごい話だけれど、友達は
「運転手も運転手だけど、黙って降りた乗客も乗客。こういうことはローマの人間はしない。だからナポリ人は大好きなんだ!」
と興奮して話していた。

銀行

先週木曜に銀行に行った。ある小切手を振り込んで200ユーロ程度を引き出そうと思った。窓口での会話。
「残高が先に知りたいんです。」というと、
「あ~今だめ。コンピュータがブロックしちゃってて、誰の残高見れないよ。」
(またよくある故障か・・・。)
「他の窓口も?」
「全部だよ。」
「じゃ、20分くらいしたら戻ってきますけど。」
「だめだめ、今週頭からの故障で理由がわかんないんだから。」
「今週の初めから~?!なんで?」
「(お得意の肩をすくめるジェスチャーで)わかんないんだよ。」
「じゃ、他の支店に行ってみます。」
「あ~それも無理でしょう。町中全部のの支店でだから。」
「町中の~!?ほかの町は?」
「それは知らない。」
(何で知らないんだ―???)
よりによってイタリアでも最大手の商業銀行である。
(もうやめた!こんなとこ信用できない!利子は勝手にどんどん安くなって、今や限りなく0%に近いし[それも人によって違うし]年間維持費は高いし、詐欺銀行もいいところ!)と思い、イタリアでは普通とされている解約手数料について訪ねる。
「なぜ解約するんだい?」
「あぁ、もしかして日本に帰らなきゃいけないんで。」
「そりゃ残念なことだ。」
「いやはや私も残念なんですが・・・。」
喋りながら彼は200ユーロの引き出し用紙に私のサインを求める。
「君とは永いしねぇ。実に寂しい事だよ。うん、うん。」
「いや、全くその通り。まだはっきりと決めたわけではないんですけれどね。」
「とにかく解約手数料についてはよく知らないから、あちらの係りの人に聞いてごらん。」
「はいはい。では。」
といいつつ、かれに挨拶して他の客と喋っていた係りの人の前も素通りして銀行を出た。でてから目の前の店に入ってショッピング。その支払いの際に財布を取り出してみて、はたと、「200ユーロ手渡してもらってない!!!」と気がついた!急いで銀行の方に戻り、さっきの窓口のあくのを待って、
「おじさん、これ、さっき引き出し用紙にサインしちゃったけど、お互いおしゃべりに忙しくて肝心の200ユーロ渡してもらってないよ!」と言った。
ここで肝心なのは「私の200ユーロ」を手に入れること事。でもイタリアでのクレームテクニックは難しい。
《成功するクレーム方法の3原則》
1.こっちが被害者であろうが客であろうが、相手の下手に出る。自分にとって一番大事なのは、カッとなって相手の否を責める事ではなく、自分にとっての損害・被害を最小限にとどめることだということを忘れない。そのためには虚栄心やプライドを捨てる。(ぎゃくにこっちの否をチラつかせ、いたって下手に出る。
2.そこに関係する知り合いを通して談判する。(裏から手を回す)
3.余計なエネルギーと時間を費やさずにさっさと諦める。
この3原則、分かっちゃいるが、なかなか実行できない。ましてやイタリアの窓口の対応が無愛想なときの、腹立たしさたるや、失礼を通り越しているからだ。
今回の場合、この窓口のオッサン、もう半分定年退職したかのようなトロさで、こちらがカットさせられるような無礼な態度とは程遠かった。見ていても同僚の彼に対する態度も冷ややかである。
呆れたのは、再度銀行に舞い戻って200ユーロを求めた時、
「あれぇ~?おっかしいねぇ。あげてなかったっけ?」
と、自分側のチェックすらせずにすぐに200ユーロをすぐにくれたこと。わざとちょろまかしていたか、ホントに忘れていたのだけれど私の主張の真否もチェックせずに支払うほどトロいか、どちらにせよ、この銀行この支店は信用置けないと、解約の意思を益々固めた私であった。






イタリア光熱費

昨日電気代が394ユーロで戻ってきた!日本円にして5~6万円ってとこか。と、ついつい嬉しがってしまうが、この裏には腹立たしい事実があるのだ。
イタリアでは毎月いちいちメーターを見に来ないで、年に一回だけ来て、翌年はその値をベースに2ヵ月毎「見込み計算」された請求が来る。この値が少なく見積もられたものであることは、ほとんどない。もし正確な消費電気代だけを払いたい人は請求書に書かれた「次回の請求のだいたいの(?)日付け」の3~4日前に電話をして自分でみたメーターの値を申告する。そんな日付いちいち覚えてられないから結局見込み計算の請求書がやって来る。で、一年後にメーターを見に来た次の請求で、実際の消費額との差額が返される。それが今回の394ユーロってわけ。
一世帯に5万円返金したとして、1万戸で5億円、200万世帯で1千億円の金額が保管されていた事になる。またそれがきっと銀行だったと思うと、その利子だけでもいい金額になる。もちろん利子はこっちには来ないで丸々向うが取る。
ましてや、こちらの電気代は相当高い。実際に統計を見たわけではないが普通の家庭で一月1~2万円相当は払っていると思う。うちは二ヶ月ごとに3~4万円相当の請求が来る。湯沸しが電気式ということもあるから普通よりも少し高めである。
冬のガス代も同じくらい来る(ガスストーブがあるから)。
こちらは年に2回の見込み計算である。
ひどい話だ。だからか、こっちでは払込期限までなかなか払わない。友達は「一日でも早いとそれだけ電気会社の儲けになる」といって、毎回わざと期限ギリギリに、長蛇の列を覚悟しながら払いに行く。

ベニスの高潮 その2

そんな「海襲警報」も鳴らない時がある。イタリアである。
そうなると出てみて初めて高潮に気がついて、仕方がないので引き返してゴム長靴を履き、ベニスの外に出かける際は履き替え用の普通の靴と、長靴も入るような袋を持って出直さなければならない。さすがにベニス以外の町で黒いゴム長靴で一日闊歩する勇気はないからだ。
高潮は、満月の出る頃の大潮の時期に、海側からの強い南風シロッコと雨天などといった条件が揃うと起こる現象である。毎月あるわけではない。秋と初春の時期に多い。
高潮の時に歩く際、気をつけなければならないことがある。水位が踝の高さ10センチ位のときはよいのだが、ふくらはぎ位の高さになると、水が濁っている為に運河の近くでは気をつけないと運河の深みにはまる危険性がある。この位の高さの高潮の時は、多くの運河沿いにある歩道が水に浸かり、一時的に「大運河」となってしまうので、普段からの道の幅を知っていないと危険だ。まぁ、そんなふうにして運河にはまったという話は今のところ聞いたことは無いが、実際に運河と一体になった場所を歩く際に不安感を抱くのは本当である。
もう一つ気をつけることは、歩き方である。一般的に高潮の水位は踝からふくらはぎ長靴があっても所詮は膝下までのものなのでちょっとでも波を立てると長靴の中に水が入ってくる。海水と言っても街の廃水とかと一緒になっているだけに「何が混ざっているかわからない汚水」だから、触れる事は避けたい。腹が立つのは、魚釣り用の腰までのゴム長を履いて、これ見よがしにバシャバシャと近くを通り過ぎる人だ。こういう人は雨の中歩道の通行人に水しぶきがかかるのも平気でとばすドライバーと同じ無作法者である。不慣れな外国人観光客で、素足のまま楽しげに汚水の中を散歩しているのを見ると、少しギョッとする。
またベニスの石畳は平坦ではないので、極端に高い水位の時で長靴の上端近いときなどは、一歩一歩が賭けである。3~4cmの凸凹も命取りになる。大袈裟なようだが経験に基づく話だから間違いない。
今までで一番高い水位の経験は2,3年前、大人の太もも近くまで上がってきて、普段は絶対に水に浸からない地域もどっぷりと浸かってしまった。普通の高潮は潮の引く時間には徐々に引いて2~3時間で元通りになるのだが、あの時は強い風が海側から吹きつづけ海水が数時間戻らなかった。高潮の訪れる時期(秋と初春)に道沿いに重ねて常設される「渡り板」とも呼べる板も、サイレンが鳴って市当局からの係員が並べに来るのだが、あの時は水位が高すぎて用をなさなかった。
とはいえこれほどの例は数十年に一回のことである。

ベニスの高潮 その1

ベニスはよく水に浸かる。
水に浸かるといっても洪水とかではなくて、大潮の時に雨や海風が水位を上げると海水が引かなくなってしまうのだ。だから予想もつけやすく、高潮の2~3時間前には街中あちこちに設置されている空襲警報のようなサイレンが鳴り響く。これがなかなか不気味で怖いのだ。
複数のサイレンの音が、「う~~~。う~~~~。」とあちこちで鳴るので
「ああ、街中で鳴ってる」と実感され、戦時中の空襲警報のようである。(といっても戦時中のことは知らないが・・・)何故か早朝とかが多いのだが、このサイレンで爆撃機がやってきたら、さぞ怖いだろうなぁ、と毎回寝床の中で思う。
だがここベニスにやってくるのは高潮である。長ければ長いほど2~3時間後に訪れる高潮の水位の高さが想像できるようになっている。
ベニスの住民はこのサイレンが聞こえると、数時間後に出かける際に必要不可欠のゴム長靴を履いて出るのである。

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